人の寿命が80年だとして、自分の人生を生きていると言える人はどれくらいいるだろう?具体的な数字はわからないものの、残念ながらそういう人はとても少ない。たいていの人たちはいろんなことに縛られています。家族とか家系とか土地とか環境に。良いことならばいいけど、望んでないのに抜け出せない状態ありませんか? だけど「だったら一生懸命生きるのはムダだからやめよう」とか「自分にはムリ!」なんて思わないで欲しい。
だってこの世でやりたくてできなかったことは、死んでから最初にまず真っ暗な反省部屋に入って内省して、来世は「こう生きたい」って決めてまた転生するのだから(詳しくは胎内記憶のドキュメンタリー「かみさまとのやくそく」をご覧ください)、生きているうちにやるか、死んでからやるかなのです。死んでもそれはあちらの世界に持っていくのです。ならば生きてるうちに、さっさとやってしまいたいと思いませんか?
わたしたちは単体でぽんと生まれたワケではないので、親や祖父母や兄弟姉妹など生まれたらどこかの家族に入っていて、そこから遡った家系に係ることや、生まれ育った土地や環境など、気づいたら作られている背景があってその中で生きています。
何も問題のない親との関係や家庭環境なら良いと思いますが、日本の90%の家庭は機能不全家族です。かなりの高い数字で強く出るか弱く出るかの違いで、みんなインナーチャイルドがいたりアダルトチルドレンになっているのだと思います。「ママを選んで生まれて来たよ」とはいうものの、わたしもずいぶんチャレンジャーな生き方を選択して来たなぁとは思っていましたが、家庭や家系に関しては悩みや争いが絶えなくて、30代半ばまでは振り回され翻弄されて来ました。
けれどある日、はたと決めるのです。「わたしはわたしを生きよう」と。もうこの家族に振り回されることにつきあわないと決めたのです。土星が生まれたネイティブの土星にスクエアになる頃、36歳あたりです。両親は2人共未熟で子どものように幼稚で、宗教に溺れてそれを強要する、洗脳された人たち。小さい頃から目覚めてしまっているわたしは、両親をはじめ母方の祖父母や妹弟たちを見て、こういう風にはなりたくないと子どもながらいつも思って反抗していました。いつも何かしらけんかをしています。裕福な家庭だったので、お金が絡んでの揉めごとが多く、「お金は汚い。争いの元になる」というブロックも作られているのだから、わたしにもうまくお金は回らなくなっていました。
口を開ければ誰かの悪口や噂話。ねとねとじっとりした感情が込められ、聞いている方も気分が悪い。それが当たり前の習慣になってしまっていることにも気づいていない。その中にまみれたくないキモチがありましたが、社会に出たら回りの人たちも当たり前にたくさんいることに気づきます。わたしが誰とでもオープンに係るのがあまり好きじゃない理由はここにあって、それが習慣になることによって波動が下がることや運が悪くなることは知っていたのです。皮肉ですが、両親が宗教にハマリ、神様を信じていることで自分たちは救われていて、どんな行動をしていようと自分たちは天国に行けると信じ込んで魂を磨く生き方をせず、頑固に自分のココロの奥の闇にもただフタをしているだけで歳を重ねていくだけの生き方も尊敬はできるワケがなく、迷惑なだけの毒親でした。
そこでわたしは持ち前の反抗心で、小さな頃から「この人たちのようには生きたくない」と対立するような生き方をして来ましたが、いまになって振り返っても魂のチカラの強い、ブレない子どもだったなぁと思います。特に母方の家系の闇はひどく、何代か重ねてきたものがあっての、この人の性格というのも年齢と共に理解はできるようになっています。何も気づかずに続けて来た悪しき習慣も、それの何が悪いのと思っているのなら魂的には若くて、それを理解するまでにはかなりの経験が必要になります。変わるのなら…と何度思って来たことか。ずいぶん年月がかかっても変わることは少なく、わたしの時間をだいぶ食ってしまいました。この人たちは一生かけても変わらないと悟り、わたしの残りの人生を自分に使うことを選択します。わたしの生まれた使命は家系のカルマを解消して、自分を生きることにあるのかもしれません。
わかりやすいカルマの解消は、「気づいたら、それを止める行動をすること」。
カルマとは「わかっていながら止められないこと」。気づいていながらもずるずると続けてしまうことがカルマになり、死んでから反省部屋に入って反省することになるのだから。
だから気づいたら、ひとつひとつ止めてみる。いまを変える行動を習慣化させる。親から引き継いでしまっているクセに気づいて「わたしはやめよう」と決心する。ココロに決めるだけでも波動は変わります。
わたしたちは、小さな習慣がいくつも重なって作られています。運がいいとか悪いとかは習慣の違い。ならば悪しき習慣は変えてしまえばいいだけなのです。〝ただなんとなく何も考えずに生きて来た〟なら〝自分で意識して選択していく生き方〟へ。なんとなく生きてしまって、気がついたら人生の終わりが見えてくる前に。もっとこういう風に生きたい!自分らしく生きたい!とあきらめずに望んでください。
人生はあきらめたら終わりなんです。「いいの、わたしはこのままで」なんて言って現状維持するだけなら、どんどん落ちていく。生まれたらだまっていてもトレーニングマシーンの上に乗せられていて、走らなくてはいけない状態。そのスピードについていけなければ脱落。障害物も時々表れるから、それを避けるのかぶつかるのかで得られる体験もいいけど、そのスピード以上を保って走れるくらいの体力や持久力を自分で養わなければいけない。
親から理不尽な言葉を浴びせられても負けるな、傷つくな。いじめなんかに負けなくていい。相手に自分の底チカラを見せてやれ。見下されたら見下してやれ。ぜんぶ自分の自己肯定力を試されているから。負けずに腐らずに強くなって。自尊心を大事にして、自分はどうありたいか自分はどう生きたいか内省してみて、敵は自分だから。どんな時も理想を夢みてるくらいの能天気さを持って、自分に打ち勝て。そうやってココロを強くしていかないと、自分の人生を生きないまま一生を終えてしまう。いまのままの、そんな生き方でいいの?
悩み続けることも泣き続けることも、被害者ぶるのももうやめて、さっさと立って歩き出そう。一歩でも前へ。そしたらもう一歩先へ。それをくり返すだけ。いつでも変わることなんて、カンタンにできることなんだからね♪ 親からもらってしまったカルマも、気がついたら染み込んで性格の一部みたいに一体化しちゃってたかもしれないけど、「もういらない!」ってさっさと捨てて自分の人生を生きよう☆
ヒーリングとかで一瞬のうちにキラキラと好転するなんてことは稀にあるかもしれないけれど、ほとんどが自分の意識や習慣でコツコツと変えていくことができるのです。日々の習慣の大切さ。「思考は現実になる」引き寄せの法則もフツーに働いてますからね(笑)
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