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人生はPPG〜クリアすべきことを越えろ〜

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サイキックな話は皆さん興味があるようで(笑)結局のところ生まれ持った体質は、改善はできても変わらないとサイキックチャネラーの佐藤友美さんもおっしゃっていたので、わたしの見て感じて発言していることは常にサイキックな視点になってますね(笑)変わってるよね〜って思われますね、感覚が違いますから。

どういうことかというと、普通の方は当たり前だけどどっぷり三次元に浸かった生活をしています。小学生低学年の話を聞いていると、あの人とあの人を比べ本命は他にいるからとバレンタインの話をしていたり、これだとこうでアレだとああだからと比較して競争をしています。この年齢で競争しているのでは、個人の感性や感情も育ちませんね。いいたいことも人の目が気になって言えない…これ親や祖父母たちはじめ、周りの環境がそうなのでしょう。この年齢からどっぷり三次元に囚われて育つ子どもたちは、オトナの年齢になる頃には何も感じない感動しない、人工的に生きてるけど死んでる状態になっていると思うので、わたしたちの年齢で浄化しなくちゃいけなくなる状態よりひどいと思います。そういう意味では子どもを持つママやパパたちは浄化して自分自身をまず取り戻していて欲しいし、これから恋愛や結婚を考えている方たちも関係をはじめる前に自分を整えていて欲しいです。

これらを「ん?何が悪いの?」とわからない方はもう十分三次元に浸かってしまっています。それ普通でしょうと。これまで大多数の方はそれを疑いもせずに目覚めることもなく一生を終えてきました。親がそうだったからそういうものだと思い込み生きてきました。簡単にどういうことかと言うと、西原恵理子さんの「女の子ものがたり」という作品があるのですが、わたしは映画で観ました。深津絵里演じる主人公は覚醒していて、違うと思う生き方を選ばず、自分の生き方を模索して進んでいく人。もう一方で同級生たちは、人生はこんなものだとあきらめ、親がたどってきたような人生を自分も歩む。愚痴を言い人生をあきらめて疲れ果てる…イヤだと思いながらも親や周りと同じ人生をたどってしまっていた。多数の方はそうやってなんとなく生きて来たのではないでしょうか?

でもサイキックで小さい頃から第3の目が開いていたわたしは、同じように三次元に浸かって生きている両親に言われても、それは違うおかしいと聞きませんでした。魂が納得しません。嘘をつきたくないと、魂の言うことをそのままやって来たので、親には聞かない子とか扱いずらい子とか言われます。親にとっていい子とは「自分の言うことを聞くのがいい子」ですが、その考えの下に絶対的に従わせたい支配欲や執着があることを小さいながら見抜いていたのです。オトナって汚いなぁ〜こういう生き方はしたくないなと、お金で揉めて物質や地位的なものにこだわるけれど愛のない親戚たちを見ながら思っていましたが、こういうわたしのような魂の強いサイキックは、家系のカルマを昇華させるべき世代に生まれてきたりします。魂は自分のやるべきことを覚えています。よくないことは継がない選択をし、自分の世代で修正をします。

例えばどっぷり三次元に浸かって生活している子どもたちにもイジメがあったり、ツライ状況に遭ったりしますが、これは魂のウェイクアップです。過酷な状態に追いやられることで、自分の感情を爆発させたり自分の限界に向き合わされていくことで、魂を目覚めさせるのです。だから伝えたい言葉があるとしたら「過酷な状態ほど生き抜け。あなたは弱くない強くなれ」。

わたしも過酷な状態は幾度となく訪れました。母親とのケンカは逃げ出したいほどでしたが、それは自我の確立と自己肯定感を養うため。どんな時も自分が自分のいちばんの味方で、理解者であること。自分との信頼関係を作るなど内面的なココロの強さを養っていくために母は悪役を演じてくれました。自分がクリアすべきレベルに達すると役目を果たしたので、いまは優しい人になりました。渦中にいる時は恨んだりしたこともありましたが、過ぎ去って達成するとそういうことだったのかとわかり、おもしろいものです。

人生の中で嫌な人や嫌いな人が現れたら、それは自分の成長のためにそういう役をしてくれているんだなと思ってください。相手のせいにしたり、被害者意識でいるうちは抜け出せないでしょう。起こっている世界はRPGみたいに自分のレベルを上げるためにクリアすべき問題です。逃げているといつまでもクリアするまで何回でもまた同じ問題に遭うでしょう。自分が越えるべきものは、自分のわがままさだったりエゴだったりします。その自分の未成長な部分を成長させていくことを、わたしたちは生まれる前に自分で決めて来ましたからね。越えられないハズはないんですよ(^_−)−☆

わたしなんかは家系のことではかなり揉まれましたし、社会に出てもぶつかることは多かったです。それでもわたしはダメだなんて思わなかったし、チャレンジャーな気質に設定した生まれる前の自分に「もう勘弁してよ〜」って何度も思ってますからね。でも抵抗せずに「あ〜はいはい、これクリアすればいいのね」って淡々と向き合うことで越えられます(笑)

いま大変で目の前から目を背けているのなら、「あ〜はいはい、これやればいいのね」って客観的な視点になって抵抗せずに取り組むようにしてくださいね。自分のわがままさやエゴを越えさせるようなことは人生でいろいろあるでしょう。いいオトナなのに子どもみたいなわがまま言ってないでさっさとやる!ハイヤーセルフでも守護霊でもいいのだけど、お尻ペンペンして成長させてくれてるのです。このエゴを越えるっていうことが、三次元の人たちにはかなり難しいようなのですが、感情論にせずさらっとやるべきことをやると受け入れてしまうのがコツですね。

ちなみに過酷な状態が訪れた時はキリスト教ではそれは愛だと教えます。厳しくても愛があって成長させたいから。愛は甘くて優しいものだけではありません。厳しくても根っこにあるものは愛だったりしますから、簡単に起こっている現象を不幸だの決めつけないことです。ものごとの核心に気づくこと。

そして大事なコトを伝えますが、人生はPPGです。〝体験して何を感じたのかわかったのか〟が大事なんです。いじめられて屈辱だったプライドを傷つけられた価値がないと思ったとかではなく、いじめられて感じた悲しいキモチやるせないキモチを知っているからこそ、人に優しくできて人のキモチがわかる共感力を身につけられ、そしてそれを得られたらそこでの学びは終わり、また次のレベル(ステージ)へ進んでいきます。(三次元的社会では同じ会社でずっと働き続けることが評価され、職場は同じソウルグループになりますが、魂的に成長することを望んでいると、どんどんステップアップして進む生き方の方が成長できるんです。わたしは10以上の職場を経験していますよ)スピリチュアル的な成長は、現実社会の物質的な成功ではなく、天に徳を積むようなココロの優しさや感性を養って成長していくことです。

三次元的な解釈で受け取ると、ネガティブに感じられることも多いかもしれません。いじめられてることを親に言えないとか友達に言えないのはいじめられている自分の扱いが情けなくて価値がないと認めてるようで言えないのかもしれませんが、それは自己肯定感が低いのですね。自己肯定感があるといじめてる人に問題があるように思えますよ。わたしをいじめるなんて何か当たりたい理由でもあったのかな?いじめる人も何か抱えていて不器用に表現しているから、そこらへんのキモチを紐解いてあげたいですね。

ちなみに小学生の頃、新しく買ってもらったミッフィーの白い下敷きを学校に持っていったことがありました。新しい下敷きだとわかると何人かが鉛筆で真っ黒にぐちゃぐちゃに書きはじめました。その時わたしは「なんでそんなことするんだろう?」って、真っ黒にされた下敷きを消しゴムで消しましたが、もちろんきれいに真っ白には戻りません。でも泣きもせず、後からあれはいじめだったんだ〜って気づくくらい、自己肯定感は高かったのです。それくらい受け取り方の違いがあります。いじめに遭っている方は、自己肯定感を上げるためのレッスンを今世でやると決めて、いまレッスンされているのかもしれませんね。

自己肯定感はとても大事なので、こちらについても書きたいと思います。

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