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自信ないとか嫌いとか、そんな自分をプレゼントできるの?

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完璧主義で、理想よりできない自分を情けないとか責める人多いんじゃないかな?

根本的に、自己肯定が低く自分に無価値観を感じている人って自分は足りない欠けていると感じているから、完璧主義な人が多いんだよ。スキルとかテクニックとか知識があればと自分を武装して、自分はスゴイって思いたい。思われたい。

でも究極は「何もできなくても、こんなわたしでもわたしは大好きだよ」って思えること。

存在するだけで自分には価値があるってこと。
それは自分を認めて、自分本体だけで自信を持っているということ。自分で自分を愛せなくて誰が愛するの?

昔、20代になったばかりの不安定で自信のないわたしに教えてもらった言葉。
「おまえ、自分で自信ないとか嫌いとか、そんな自分のことを彼氏の前でプレゼントできるの?そんなの彼だっていらないだろう。自信を持って、ちゃんと自分をプレゼントできる女になれ!」

人生の先輩に言われた言葉にハッとして、早々と自分にはないことをあっさり認めてしまいました。そして、ないけどできないこともたくさんあるけど、それが自分だからと認めて、自分らしさを楽しむことにしたら、ラクになりました。自分に嘘をついていいものに見せるテクニックより(雑誌もネットもそんなテクばかり)、こんな自分ですがそれでもいい人だけどうぞ…では、根本的に違うというコト。隠すより本音でぶっちゃけちゃう。出会う人の数より、合う人の方が絶対少ないワケで、本音でいると裏表がない状態なので、潜在意識から引き寄せるので、少なくても必ず合う人を引き寄せられます。そこで偽ってると、その自分に似た人ばかり引き寄せる。類友だからね。

本音と建前、表と裏がある状態ではどんなに取り繕っても、潜在意識にあるのが本音や裏の部分なので、表で言っていること(顕在意識)は叶いません。気づいて欲しいのは、ぜんぶ〝表だけ〟で嘘のない状態になること。裏があると〝裏切られる〟というように、本音でありのままで表だけで生きると裏切られることもないのです。

わたしは「何でもできてスゴイ」とか時々言われます。でも好きなことにいろいろチャレンジしてきただけで、できることがスゴイということに価値は置いてません。才能って努力で作られているものではないかな?天才も努力家には劣ると思う。でも努力ですごい技術的に上手いのに、いくら褒めても「全然すごくないんで」と認めない、上に書いた完璧主義で自己肯定の低い方。自信持っていいレベルになっても、自分が自分を認めないんですね。まだまだと自分を追いやるんですけど、カラダが悲鳴あげちゃいますよ。人の好意はいくらでも受け取って。もっと自分に優しく!できることはすごいんだけど、できなくても愛されるんだよ!もっとゆるめて。自分のこと愛してね。(そして受け取り下手はお金もうまく回らないという悪循環だからね)

できてもできなくてもよくて、本当の自分のキモチを尊重して、人の価値観はそれぞれだから、どう受け入れられようと、自分はちゃんとやったと評価していればそれでいい。よい意味での自己中で自分軸になって。人の言葉に振り回されると疲れるから(特に天気屋の母とかに振り回される言葉を発せられても)ブレない自分を作るレッスンでもありました。

自己肯定とか自分を愛したり大事にすることはめっちゃ大事なことだから、いくつになってもオススメします☆そこからが新しいホントの自分のはじまりだから。これまでは人に与えられたい認められたい、満たされたいと人から搾取している分離状態でした。自分で自分を愛し信じて、満たされた自分から生まれてくるもの、体験してね(^_−)−☆はじめて人に与えられるレベルにようになります🎶

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